4. それは超科学!

聖書を読むことは宗教的なことだと思っている人が多いかもしれません。

しかし、それは大きな誤解であると同時に、無知をさらけ出してしまっているということを知る必要があります。聖書を読み、そこにあるエッセンスを学ぶことは決して宗教的なことでも、キリスト教的なことでもありません。

また、聖書に書かれている『神』を信じることは決して非科学的盲信ではないのです。理学博士の天野仁氏もこう述べています。 「現在の宇宙物理学、宇宙工学、生命科学の最前線の研究状況は、これらの研究の到達点として、聖書の書かれていることを、そのまま事実として受け取っても、何も不自然なことではないという段階になってきつつあります。」【聖書の科学・PHP出版】

聖書の主張する神の実体とは、科学者たちが『存在の第一原因』と呼ぶ超絶的実体であり、存在や生命の源です。このような、存在するすべてのものを超越した絶対的力と秩序という大前提を認めない限り、物質世界の存在は説明することができないのは科学の常識でもあります。

そのような根源的実体を聖書は『神』と呼んでいるのです。聖書を読むことや神を信じることが非科学的だと思っている人は、そもそも科学そのものが、聖書という基盤の上に誕生したものであるという歴史的事実を知りません。

近代科学はヨーロッパで夜明けを迎えました。それは歴史の必然でした。科学者たちは聖書の語る神を知っていました。神が宇宙を支配しているからこそ、そこに絶対的な秩序があるということを知っていたのです。だからこそ『法則』という概念が生まれ得たのでした。

法則が成り立つ唯一の大前提は、法則を支配する絶対的秩序の存在を肯定することだからです。万物を支配している絶対的秩序の存在を聖書は数千年の時をかけて主張してきています。彼らはその大前提に立っていました。彼らはこう考えました。『神の偉大な業を言語で表したのが聖書である。我々は神の偉大な業を数字で表していこう。』 この試みこそ、近代科学の夜明けとなったのです。

聖書が宣言する神という絶対的秩序の存在を大前提にしなければ、科学という考え方そのものが生まれて来ることはなかったということは、変えることのできない歴史的事実です。ですから、神を信じる事は非科学的ではありません。それは、むしろ超科学的なのです。

もしキリスト教という宗教の存在が、あなたから聖書を読むこと遠ざけているとしたら、このさいキリスト教のことは忘れた方がいいでしょう。歴史の中でヨーロッパ化されたキリスト教が、聖書を正しく代弁している唯一普遍の存在ではないのですから。

聖書はキリスト教の経典ではありません。聖書は人類に与えられた聖なる書物なのです。

<<< WHAT'S THE GOSPEL INDEX NEXT +++5. 神と呼ばれる存在>>>